京都ハンナリーズ北川雄一トレーナーインタビュー<第一回> | 京都平川接骨院/鍼灸治療院グループ

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京都ハンナリーズトレーナー活動

京都ハンナリーズ北川雄一トレーナーインタビュー<第一回>

2018/03/28 | カテゴリー:京都ハンナリーズトレーナー活動

©KYOTO HANNARYZ/B.LEAGUE

京都ハンナリーズでトレーナーを務めて7シーズン目を迎える北川雄一トレーナー。浜口炎ヘッドコーチとは仙台での6シーズンも含めて13年間コンビを組み続けている。仙台、京都ともに選手からの信頼の厚い北川トレーナーと今シーズン加わった松田アシスタントトレーナーにトレーナーとしてのポリシーや哲学、浜口HCとの出会いや関係性、そして京都ハンナリーズの選手について話を伺いました。

 

第一回:身体のケアは選手自身が中心にならなければいけない

 

――まず、プロバスケットボールのトレーナーという仕事について内容をよく知らない方もたくさんおられると思うので、トレーナーというのは、実際どんな仕事なのかというところを教えてください。

 

 

北川:そうですね。現在はプロのスポーツチームで働いていますので、一言でいうとチームの縁の下の力持ちという部分が大きな仕事となっていると思います。

 

 

細かい仕事で言えば、障害予防、怪我が起こったときの傷害評価、応急処置、競技復帰へ向けてのアスリハ(アスレティックリハビリテーション)と、あとはストレングス/コンディショニングもやっていますので、アスリハ後の競技復帰に向けてのトレーニング等選手の体に関わる部分全般となります。

 

 

――かなり業務の幅が広くて、お一人で全部できるものなのかなと素人目にも感じるのですけど、いかがでしょうか。

 

 

北川:そうですね。今年初めて松田アシスタントトレーナーが就任したんですけど、それまで本当に12年、ずっと一人でやっていたんですよね。なので、何とかやっていました。

 

 

バスケットボールは1チーム大体12人前後とまだ選手の人数が少ないのですが、これが野球やアメフト、ラグビー等選手の数が多いスポーツを見るとなると単純にマンパワー足りないと思うんですけど、なんとか12人くらいだと一人でできるかなというところで昨年まで活動していました。もちろんトレーナーの人数がいればそれはそれでもっと細かいことできると思うんですけれども。

 

 

 ただ、僕の方針としては、あまりトレーナーに頼りきりになってほしくないというか、アクティブとパッシブという言い方がありますが、私は選手にあまりパッシブになってほしくないと思っています。「トレーナー」イコール「じゃあ寝転んで、はいマッサージ」とか、「ストレッチをやってください」とかじゃなくて、自分から身体を動かすとか、自分からトレーニングするとか、そういう選手の手助けに、僕らがなればなというのが一番大事にしている事です。

 

僕は選手が自分自身でどうやって自分の身体をケアするかという事を教えたり、そういうのに力を注ぎたいと思ってやっています。要は、チームにとっても僕の仕事が忙しくないのが一番良いんです。

 

 

――「パッシブ」という言葉ありましたが、あまり選手が自分の体調+コンディショニングのケアに関して受け身であってほしくないという意味だと思うのですが、それは一人でやらないといけないから、見切きれないからそうなっていったのか、元々トレーナーとしてのポリシーとか考え方があってのことなのでしょうか。

 

 

北川:プロ選手は、自分の身体が資本だと思いますので、選手が自分の身体をしっかり知る。それに対して感じてどういう風にケアするのかを考える。やっぱり選手自身が中心軸でやらないといけないと思うんですよね。それの手助けをするのが僕らの役割かなというふうに思っています。もちろん必要であるマッサージやストレッチもやりますけれども、まずは自分の身体を自分でケアをするという事を知ってもらう、やってもらうという事を意識しています。

 

©KYOTO HANNARYZ/B.LEAGUE

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アメリカでの活動と浜口HCからのラブコール

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©KYOTO HANNARYZ/B.LEAGUE

――もう10年以上こういったお仕事をされているということですけど、そもそもトレーナーの仕事を志されたきっかけは?

 

北川:僕自身も元々ずっと小・中・高・大学と、自分でスポーツやっていまして、高校生くらいから将来スポーツに携わる仕事がしたいなというのはずっとありました。高校の終わりくらいにアメリカでトレーナーの資格があるというのを知って、アメリカにも行きたいなというのも漠然とあったので、それが合致して、高3のときに絶対アメリカに行ってその資格を取るということを決めて、それがきっかけでこの世界に入りました。

 

 

――松田アシスタントトレーナーはいかがですか?

 

松田:僕も同じような理由で、僕もスポーツが好きでやっていたので、将来仕事するならスポーツに携われる仕事がいいなと思っていました。たまたま野球か何かのテレビ中継を見ているときに、パッとトレーナーが画面に映りそういうものがあるというのを知って、そこから自分の好きなことで仕事ができたらいいなと具体的に考え始めました。

 

その当時は例えば一般の会社の会社員は絶対自分は無理やなというか、向いてなさそうやなというのもありましたので僕はスポーツトレーナーを目指しました。

 

――トレーナーになりたいという高校生、大学生、専門学校生って多いと思うんですけれども、実際、特にプロスポーツチームというと、日本でも野球とサッカーとバスケを入れても、数は限りがあって、プロスポーツのチームのトレーナーになるってなかなか難しいと思うんですけれども、北川トレーナーはプロのチームのトレーナーとして仕事をするようになったきっかけはあるんですか?

 

北川:そうですね、僕は特にプロというのは全然こだわってなかったんですけど、アメリカで留学しているときに現在のヘッドコーチの浜口炎さんと出会って、炎さんがbjリーグの初代仙台89ersのヘッドコートとして就任された時に、アメリカに電話かかってきて、「こんなリーグあるんだけど一緒にやらないか?」というふうに勧誘をしてくれて、それがきっかけで現在まで炎さんと一緒にプロの世界でトレーナーをしています。

 

――じゃあもうそれ以来ずっと?

 

北川:そうです。それ以来ずっと一緒です。それがなかったら、プロに加わっていなかったです。もうちょっとアメリカに残ってもいいかなと思っていたんで。

 

――なるほど。じゃぁ浜口ヘッドコーチからの勧誘がきっかけ。

 

北川:そうですね。だから僕はちょっと特殊だと思います、トレーナーの中でも。コーチから呼ばれてというのは。普通、トレーナーのネットワークで声かかったりするんですけど。

 

――そういう声が浜口ヘッドコーチから直接かかるというのは、アメリカではどういう活動をされていたのですか?

 

北川:浜口ヘッドコーチとは当時あまり知り合いじゃなかったんですよ。でも、通っていた大学で子供対象のサマーキャンプというのがあって、浜口ヘッドコーチと共に僕もバスケットの小学生、中学生のキャンプにトレーナーとして参加したんですね。そのときに頸椎損傷が疑われる大きい怪我が起こって、僕は一応キャンプのリーダーをやっていたんで、救急車を呼んでヘリコプターを呼んでみたいなことをしていたんですがそれを見てくれていたらしいんですよね。それで、その仕事ぶりを見て(勧誘した)というのを後から聞きました。

 

松田:初めて聞きました。

 

――そういう北川さんの仕事ぶりを見たことがあったということで呼ばれることになったんですね。

 

北川:そうです、多分それだけだと思います。本当にあんまりプライベートでもアメリカのときは全然一緒に過ごす時間はなかったと思います。

[北川雄一トレーナーインタビュー全4回 第二回目も近日公開!! 平川接骨院グループ]

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